この国の緊縮財政は教育者をソーシャルワーカーにしてしまった。
この言葉はブレイディみかこさんの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」に出てくる一文である。
最近は技術書とか自己啓発系の本とか、ビジネス系の本とかを多く読んでいるような気がしたので、小説に手をつけようと思い、読み始めた。
イギリスに住むブレイディみかこと息子の日常を描いた作品だが、イギリスの生活水準の格差や、人種差別問題などを子供のやり取りを踏まえて書いているので、とても興味深い。
タイトルの文章は、ブレイディみかこが「貧しくて制服が買えない子供に制服を渡すために、古着の制服の修繕をする」というボランティアをしている時に、同じボランティアの人との会話の中で生まれた言葉である。
先生が家庭訪問に行った時に、冷蔵庫に食べ物が無くて、先生のポケットマネーで支払ったり、ソファで寝ている生徒のために、先生がお金を出し合ってマットレスを買ってあげたりと、本来の先生のサービスから大幅に外れた行動で、ようやく学生が学校に通えるようになるという現実が綴られている。
そんな状況の中で書かれているのが、「この国の緊縮財政は教育者をソーシャルワーカーにしてしまった。」だ。
私も一部公共に関わるようなポジションにいるが、私はあくまで自分自身がやりたくてやっているところが大きい。
日本の公共に関わる人は私のような考えが多いのではないだろうか。
しかし、彼らは違う。「教育者をソーシャルワーカーにしてしまった」世界線に生きる彼らは、ソーシャルワーカーになろうと思ってなったわけではない。
よくCode for JapanでCivicTechの活動をしていると言うと、「偉い」とか「すごい」とか言われることがあり、自分自身もそれによって少し調子に乗っていたところがあったのかもしれない。
ただ、こういった形で、趣味の一環としてCivicTechに関われるのも、日本の政治や社会保障がある程度しっかりしているからなんだなということを思い知った。