以前もブログに書いたが、社外で一般社団法人Code for Japanに所属している。

主にNPO団体のIT支援のようなことを行っており、今日は関わらせてもらっている団体の1つである、多文化フリースクールちばというNPO団体の卒業式イベントがあった。

多文化フリースクールちばは、日本語が上手ではない、海外から日本に来た中学生などを相手に、日本語教室をやっているNPO団体である。

今日はその学生さんの卒業式だった。
団体の代表に是非来てくださいと、お声がけ頂いたので、参列者兼カメラマンという役割で行かせていただいた。

視聴覚室のような部屋に20人ぐらいの学生と、彼らを取り囲むように座るご両親・先生方。

イベントの進行は、通常の中学校の卒業式とあまり変わらず、卒業証書をもらってから、先生の話を聞くというもの。
異なる点としては、卒業証書ではなくアルバムであることや、卒業生全員で歌ったりしないことだろうか。

全体で1時間半ぐらいの短いイベントだったが、私は学生さんがアルバムを受け取ったあとに一人ひとり感謝の気持ちを述べているシーンで、すごく満ち足りた気持ちになっていた。

私は外国語は得意ではないし、そもそもNPOのスタッフではないので、直接学生さんとのふれあいはなかった。
しかし、裏方として、Webサイトの構築や、オフラインイベントの手伝いなどは、積極的に行ってきたつもりである。

そんな中で、間接的ではあるが、関わってきた学生さんの日本語能力が向上し、高校にまで合格し、感謝の気持ちを述べて去っていく。
少なからず、私のITの技術や、イベント運営の能力が、今の彼らを構築する1つの要素になれたのではなかろうか。



こういった活動をしていると、よく言われるのは「給料出ないのによくそんなことできるね」という言葉である。
これを言われると、毎回「まあ、半分趣味みたいなもんだからね」という曖昧な返事を返していたが、私自身この回答に100%納得しているわけではなかった。

しかし、今日の卒業式を経て、「あぁ、私は自分の技術が誰かの役に立っている現場を見るために、今の活動をやっているのかもしれない」と思った。


「自動車絶望工場」という本の中で、「労働の細分は人民の暗殺である」という言葉が出てくる。

最初は生地の仕込みから、販売から、業後の掃除まで、1人でやっていたパン屋が、集団労働を経て、作業が細分化されていくにつれ、自分のやっている行動が、誰のためになっているのか徐々に分からなくなってくる。
そんな、労働の縦割りによる顧客意識の低下を「人民の暗殺」と表現している。

恐らく、私はこの「人民の暗殺」をされることがすごく嫌なのだろう。
更には、自分自身が誰かのために動けている自覚が無いのに、報酬が得られるという状態になってしまったら、気持ちよく報酬を受け取れる気がしない。

しかし、会社の業務では、往々にして「人民の暗殺」が起こる。

恐らく、私はそんな業務の中で、業務外のプロボノ活動を通して、自分自身の価値を再確認しているのだろう。

よく支援した団体さんに、感謝の言葉を頂くが、寧ろ私も、自分自身の価値を再確認させてもらって大変有難く思う。